2016年 07月 19日
桃園に帰った桃太郎
岡山の「紅清水」と言う品種だった
今年の満開日は4月6日だったと便りにある、ということは満開から3か月ちょっと(100日くらい)で丸丸の桃になることを知った
油断なく桃という商品を育てるのは並みの労力ではないだろう
植物繊維も多く女性の便秘には一つで十分効き目がある
他にカリウムやカテキンも多く、高血圧や糖尿病の予防にもいいとされている・・桃は邪気を払う
三国志は桃園での誓いで始まる
劉備玄徳(りゅうびげんとく)を兄として三人の義兄弟の契りができる
三人寄れば一つの軍であると、三国志は語る
艱難辛苦のはてが蜀の国の皇帝になるまで三人の血盟は続く
悠久の中国を舞台に雄大な男の遊びの印象を受ける
岡山県は桃太郎の伝説の世界だが、三国志に比べると極めて現代的だ
それはそうだ、三国志の方がはるかな昔ばなしだ
桃太郎はイヌ・サル・キジを連れている
親分・子分の間柄であるが、それは黍団子(きびだんご)を与えるということで成り立っている
現代的に言えば見返りが黍団子とは限らない・・それは賃金であったり、褒美であったり、出世であったり、たとえば庇護や保護であったりする
見返りがあれば主人桃太郎の目的に従う・・イヌ・サル・キジには仕事感はあるが血盟もなければ雄大さもはない
彼と一緒のサラリーマン時代を振り返ってみるチャンスになった
たまたまであるが・・サラリーマンでよかったと思っている、本当は我が社にも桃太郎みたいな大小の主はいるのだけれど、そこまで近づけなかった
雇われている我々、本当はイヌ・サル・キジ以下だったのだろうけど、劉備・関羽・張飛で鬼退治しているような錯覚を時に感じられる仕事だった
錯覚はあくまでも錯覚ではあるし、その上経費も使えない出世も出来なかったけれど40年近く勤めて人に罪はしなかった
無能だったかもしれないが無用ではなかった(ほんまかいな?)
人は自分のために働くが、それが人のためになっていると思える仕事は少ない
鬼に雇われたイヌ・サル・キジはかわいそうだ
社会的役割のない会社で歯を食いしばって働いている人の方が多いのだろうと思う
彼は、実家の都合で少し早く辞めた、彼の家族にとっても大変なことだったろう
そこまでなれば、桃太郎だろう
サラリーマンをやめて、その後に犬を連れて桃太郎の役が出来ることは幸せなことだと思う
時々猿に桃を食われることがあるのはこの際愛嬌として堪忍したってほしい
我らの世代は体が動くうちは何かしたいと思っているものが多い
土地を持たないサラリーマンなら市民農園での菜園のまねごとが精一杯である、桃太郎型の余生とは言えない
我が家の庭の花桃にも実はついたがやっとピンポン玉ぐらいである
桃を送ってもらったこともあるが、桃太郎じいさんのこれからを祝福したい
鯵庵(7.19)