2018年 01月 14日
あおっぱな物語
皆が貧しい時代だった、教育も満足ではなかったが、何より食べるものも豊かではなかった
青い塩辛い鼻汁を覚えてる?透明な水っぽい鼻水ではない、味のある“はな”なんです
親が編んでくれた毛糸のセーターの袖がはなをこすり付けてテカテカだった
″あおっぱな”は栄養に問題があったなどという学者がいるが、学者でなくともそんなことわかってる
当時栄養に問題のない子など我々の近くにはいなかった
子供の遊びに関しては貧乏も栄養も関係ない
要は遊びにも飢えていた
後は知恵とリーダーの存在だった
今と違うのは仲間に飢えていた、独り遊びでは、限界がある
そもそも独りではリーダーになれない、三人寄れば一つの軍であると、三国志でも言っている
子供の頃、体は大きいが同じく〝あおっぱな″を垂れた餓鬼大将がいた
遊ぶことを真剣に考えた結果、自ずとそのガキ大将にみなついていったのである
遊ぶという同じ目的の元に集合して、より楽しくするための仕掛けである
それがガキ仲間のリーダーだった
ついていったからとて不足はないし、工夫次第ではいつでもリーダーにはなれる・・わけである
それは、遊びだからでもある。
蛇足ながら、そう思えば「リーダーシップ」という言葉も曖昧だ
ヤクザ屋さんになり損ねた人が自分でカリスマなんて言葉を使ったりする
成功とは不遜にして強引な力技であり、かつ強運を持ち合わせて始めて叶うものであろう
リーダーとして仲間を楽しませてやる豊かな精神性とは少し方向が違う
カリスマ性は認めてもいいリーダーだったとは限らない
あおっぱなガキ大将とは違うものだと思う
我らの子の頃には間に合わなかった、せめて孫のためにも一度登場してくれないか!
写真はあおっぱな地蔵?
鯵庵(30.1.14)