2018年 06月 26日
切りたくなった時に切れないのが悪縁/崇徳院③
アベックが知らずに参ったあとすぐに別れることになったと言う苦情が来る(?)くらいの効き目あり、なんてなことが京都案内の本の定番フレーズ
訪れてみるとこのごろは「悪縁を切り良縁を結ぶ」とも書いてある
せっかくのご利益、「悪縁切り」パワー一本で行ったほうがいいような気がする
良縁を結ぶくらいの平凡なご利益なら昔は町内のおばさんでも出来た
それでなくとも隣は京都市中の唯一の昔からのホテル街、京都の人はたいてい一度や二度はお世話になっている
良縁結びのご利益はそちらで、切れなくなったら隣の安井の金比羅さんへという設定です
悪縁は良縁の成れの果て、良縁を結ぶということは悪縁の種を作っていることになる
神様に代わって言うと、縁は早い目に「結ぶ」ということ、「結ぶ」ということはほどきやすくということだ
そういうことか、ほどけなくなったものが悪縁、ほどけなくなったら切るしかないという訳です
そんなこと小生の野良作業用ロープワークの本には当たり前のように書いてある、ただ切ればそのロープは二度と使えません
二度と使えなくてもいいから切ってしまってくれと言うのが願いなら聞いてやってほしい
神社の元の祭神は崇徳上皇(崇徳院)、怨念の神様です
崇徳上皇を怨念の別格本山とするのは京都の人の気持ち、この神社にすがる人も多い
神仏分離後安井神社と言う、昔から金比羅権現を祀ってきたので安井の金毘羅さんという
悪縁は男と女だけでない、上司と部下、経営者と雇い人様々である
親と子もだろうか?
″結婚するまで私を苦しめた母親〇〇〇子を絶対に許さない、死ぬまで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんでください、今日で親子関係は終わりです、もう二度と来世も出会いたくない、私を苦しめた分以上に苦しい人生を送ってください、さようなら(原文のママ”)”
親子は自分で結んだ縁ではない、でも親子の縁が切れたらと思う人も多い
悲しいけどこれは切ってやってほしい、と思わせられる絵馬があった
こんな親をやっていませんか、そんな人が来るべきです
写真は祇園安井の曖昧宿
鯵庵(29.9.15改)