2016年 08月 06日
暮らしはメンドクサイものです
小生の場合はほんまメンドクサイわ
この面倒くさいという言葉、人によっては世代によってはなんとも便利な言葉である
30代の女性が(アラサーと言っていた)数人がラジオの特番で語っていた
〝仕事をしたいときに恋愛をすると煩わしいことが多い、恋愛も結婚も結局はメンドクサイ″と
一番メンドクサイのは仕事だと思うのだが、そうでもないらしい
仕事にかまけて家庭を顧みもしないという企業戦士が活躍した時代はずっと前に過ぎてしまったと思っていたのだが・・
今の彼女たちは会社の中で、セクハラ、パワハラのネタ探しをしていると退屈しないらしい
もちろん進行役の女性アナウンサーもそうだから仕方ないとは思いつつ、座談会は終始その話だった
誰かが言っていた、仕事の楽しさというのは本当は「禁断の木の実」だと
この時代、人に言える仕事があるだけで十分人生の勝者であり得る
実はそれが一番の自慢なのだろうと小生も思った
それは誰にでも得られるものではない
奥深く楽しいものであるのを見つけてしまった、女性戦士もなまじ地位などがともなうと、時にエクスタシーを感じてしまうらしい
そうなれば口々に恋愛も結婚も要らない(二の次)というのもあり得る
恋愛も結婚も出来ないのではない、メンドクサイと言うのだ
そらそうだ、恋愛(セックスの)でエクスタシーを感じるまでには今から心を入れ替えても何年もかかる
女性の一生は男性に比べてストレス要因がはるかに多いという
その分、神は女性に多くのエクスタシーを感じられるように作った
メンドクサイと言ってしまっては余りにもったいない
この話を聞いていて・・″面倒くさいの反対語はエクスタシーだ”という気がしてきた
全国放送の電波にまでのってしまったのではもう仕方がない・・また仕事エクスタシーの金縛りにあってしまうだろう
今は夏だからいいけど、人生夏ばかりではない、それでは人生の四季を楽しめない
まさに夏の夜の怪談だが、それにしては暑苦しい時間だった
写真は紅蜀葵、夏の盛りは夏の終わり、血(動脈)の色が透けて見える
サービスで小生の好きな俳句を
紅蜀葵(こうしょっき)わが血の色と見て愛す(岡本差知子)
鯵庵(8.6)それでも明日は立秋