2016年 09月 01日
ガイドブックのチエックをしてるみたいです
パンフレットの説明では、「金閣は舎利殿である」とあるが、本来、「舎利殿が金閣と呼ばれている」である
どちらでもいいのだが、日本人の英訳であることは間違いない
日本語のガイドブックだって同じこと、既成のパンフレットをそのまま写した様な直訳方式が得意だ
ガイドというのは入り口を間違えないようにしてやることが大事
書き手の勉強不足が大きい
一方、ガイドブックに文句を言うのは分かるけど、ガイドブックと違うと言って苦情を受けることもあるとか・・
「旅行者の求めているものがガイドブックです」というのが出版社の答え
ごもっともな話だと思う
ならばこちらも・・
寺や店から見ればガイドブックは一番の広告であるのは事実
観光情報というものは作られたもの、すべて個別の意思と意図を持ったものと知るべきである
インターネットの世界と同じである、せっせと口コミを書いてもらわなければならない
ほとんど自分で書いているらしいが、その時、やはり必要なのは確からしさ
眉唾(まゆつば)では困る〝確からしさ″というのは観光客の心理を分かった上での正に文芸の世界である
情報は知識となるうるが、情報を選ぶのもが知識であると思う
客のほとんどが仏の教えを聞きに来たわけでもなく、本の写真と同じやと感心されてばかりでは、結局旅行者も京都を学べないし、京都の人も旅人に触れられない
世界中、日本全国同じことです
アジアのさる国からきたお客さんを金閣寺に案内したことがある
相手は既に世界遺産のガイドブックで見た金閣寺を見たかったのだ
禅の心は分からないし説明する力もなかった
しきりに金箔を貼った建物をほめていた
お客さんは英語が少しわかる、通訳はパンフレットの英訳を読み上げていた
ちょこっと意地悪に、「60年前に再建されたもので私より若い」と通訳に言うと、それはパンフレットには書いてないと通訳しなかった
結局、旅行者はガイドブックの書き手のチエックをしているようなものなのである
写真はキツネノカミソリ(園芸種)
鯵庵(9.1)
by ajiankyoto
| 2016-09-01 07:30
| 翁草
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