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今宮神社のあぶり餅・血續対根元

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テレビ「鬼平犯科帳」のエンディングにインスピレーションの曲にのせて風鈴売りが歩く江戸の夏のシーン
確かにまともな茶店の作りである
江戸という新しい都は世界有数の大都市、鬼平が活躍するのは松平定信の寛政の改革の時期である
ドラマにも生き生きした江戸文化が表現されている
中央集権国家(武家政治の)の首都として爛熟期(らんじゅくき)を迎えている様のその映像が、京都の街で作られている
さすがの松竹でも東京のスタジオでは〝江戸文化の池波時代劇″が撮れないという
当時の江戸は水の都、その江戸の季節風景は京都にしかないというその矛盾は、京都の街が今でも持っている不思議な力の一つである

ここは今宮神社の参道である、両側には同じような茶店が一軒ずつあって、本家争い?の元祖だ
何しろ平安時代からあるという話だから、茶店と言っても時代劇にもってこいの風情、なかなかのものである
どちらもあぶり餅、一方は「一文字屋和助」1000年〝血續・二十五代″Hさん、

一方は「かざりや」創業400年〝本家・根元″Oさん
血續対根元、ともに言葉と宣伝では一歩も引かぬ勢いが京都らしい
メニューはあぶり餅のみにしてともに一人前500円、定休日はともに水曜日、客引きのために通りの真ん中の石畳みは踏まない、共栄繁盛の見事な調和である
歴史京都らしいと言えばそうかも、どっちの贔屓しようとここまでくれば楽しい本家争いのルーツであるが、2代3代では真似が出来ないはず
喧嘩していればともに終わっていたはず、やはり京都の町人は喧嘩しない?ひょっとしたら、そんな家訓があるのかもしれない
そうでなくってもつぶれることもなく、さりとて大きくもならず、茶店が茶店のまま1000年も続けられたとしたら、善と悪では解けないものがある

「何百年も向かい合わせで店やってて娘も息子もおったやろうに、間違い(恋)の一つもなかったんかいな?」とこんな微妙な関係が何百年もバランスよくは続かんはず、絶対に喧嘩してるはず・・・と素朴な質問を店の人にぶつけた女傑がいる
こんな質問に答える京都人はいない・・今宮神社の信仰が続いたということだろう
ただ、そこまでの歴史があれば、大体権利を振りかざして商売の拡張を図るのがふつうである
現に京都のお茶屋は北野のみたらし団子屋から始まって、遊郭から今は花街上七軒として格式高く?生き残っている
団子や餅を食わすということは相当なサービス精神が必要である、それが水商売である
あぶり餅しかないということがよかったのかもしれないと思う
しかも二軒というのが味噌かもしれない・・と、その女史の論である<
写真はあぶり餅”いちわ”の暖簾
鯵庵(28.9.16)

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Commented by wabisuke-miyake at 2016-09-16 11:04
懐かしいです。あぶりもち。学生の頃友達がバイトしていて
何度か暖簾をくぐりました。
あれはどちらの店だったのか…
Commented by ajiankyoto at 2016-09-16 12:22
> wabisuke-miyakeさん
いつもありがとうございます
血續と根元、少しは味も違うみたいです
今度、京都旅行の機会にでも試して下さい
by ajiankyoto | 2016-09-16 07:41 | 大人の恋 | Comments(2)