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生きるということは生き抜くということだ/吾亦紅⒂


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小生の父親は難病の一つパーキンソン病を患った
発病から10年で、その後は色々な症状が出てきた
薬のせいか気分にも波があり、幻覚・妄想が続いた
家族がそれを病気だときちっと認識するのは相当な知識がいる
大学病院に通ったが薬をくれるだけだったし、老人保健施設にも拒否された
時にデーサービスにも行ったが、いわれなく素人リハビリ体操ばかりさせられた
皆と一緒に笑わない、皆と一緒に手を動かさないと言って嫌われた
悲しいことに父親の尊厳を守り得たかどうか、思えばつらいこと毎日だった

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介護保険がスタートする前の何年かは夜明け前の暗さだった
多くの病院がフロアー単位で空きベットを作った
3か月以上の入院はさせてもらえず、病院を転々としていた
新しい病院に落ち着いたその日から次の病院を探すのが家族の仕事だった
介護保険の制度は平成12年(2000)4月から始まった
病院は病状は安定している(治らない病気)と言い、老人保健施設は難病の患者の受け入れ態勢はとれないという
幻聴・妄想も病気なのだ
安定しているなんて知識は家族にある筈がない
認知症と一緒なのだ、そのこと自体が病気なのに・・
認知症だって当時はただのボケ老人と言った
病気の治癒ではなく介護の問題に切り替えていく時期だったのだろう

やっとの思いで長期療養型の病院にたどり着いた
病院だから保険も効くけれどホテル並みの入院料を取られた
父は自分の蓄えを全て使うことを納得して、心も穏やかに入院できると久しぶりににこにこしていたけど・・
暫くして院内感染で肺炎を患った
家族と病院あげて敬老の日のお祝い行事、医者も看護婦も一番手薄な日に危篤になって次の日に亡くなった
パーキンソン病で死んだのではない、やはり肺炎であった
家族にとっても息をつく間もなく亡くなった
介護保険制度がスタートする前の年だった

つまらないことを考えた
国が作ってくれる制度というのはいつもよくできている
だがしかし、制度の隙間に入ってしまう悲惨さはいつまでも残っている
病院は回転率を上げることが一番の経営であると今でも信じている筈だ
夜明け前と夜が明けてもそこのところは変わっていない気がする
そしてまだ医療と介護の区別は相変わらず曖昧である

老人、病気、貧困、介護にはいつでも悪の論理が入りこんでくる世の中になってきている
病人にとって生きるということは生き抜くということである
そんな分かり切ったことを制度に求めていくことは難しい
10年間以上の父親の病気は我々家族にも辛いことだった
老人保健施設や病院がなかったら、こちらも倒れていただろう
思えば、もうその時には自宅で看取るなんてことは出来ようもなかった
父親が発病した年令になってきた
これから毎日自分自身で考えておくべきことの一つである
鯵庵(30.6.4⓷

Commented at 2016-09-28 17:34
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ajiankyoto at 2016-09-28 22:58
> N-styelさん
ありがとうございます
もう15年も前のことです
でもあれから変わってないところもいっぱいあるのではないかと思いました
by ajiankyoto | 2018-06-06 07:03 | 家族 | Comments(2)