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男の性根は母譲り

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「女紋を持った女たち」で母が嫁ぐときに祖母から譲られたという話を書いた
しかし、今思えば違うような気がする
きっと当地の女学校に通っていた母の思い付きであるような気がする
母の里はそんな由緒の家ではない
でも思い付きであってもそれは当時大陸に行こうと決めた母の気位だろう
女一人で支那や満州に行くということは、それを距離を数十倍する根性と気位が必要だ
真っ白いワンピースにきちっとベルトを締めた当時(18才)の母の写真を見たら
女紋の三つぐらいあっても何のことがないという気がしてくる
凛(りん)としたという言葉の通りである

戦争に敗ける寸前に、満州から夫になる人の家に帰ってきた
我が京都もまだ田園であった
支那で約束した夫が帰ってくるまで、戦争が終わってさえ2年もかかった
誰も知らない他所(よそ)でどこにいるか分からない夫を待ったという
そして、その後生まれた小生を育てるために母として肥桶を担ぎ・・である
その頃、京都の町の半分以上が肥桶の町だったと知ってるだろうか

男の役割は家を守ることだとしても、本当に家を守っているのは女ではないだろうか
いずれにしろその家に気位があるとすればそれはそこの女の持っている気位であるのは間違いがない
小生だけではない戦争後に生まれた団塊世代のスタートは地べたであったのである
女紋は母から娘へ引き継いでいくものと書いた
女紋は形である、形は信仰である
それでもそれしかないときには生きている証になる
男も女も父から命をもらい母から心をもらう
男の性根はほぼ母親から継いでいるのである
もう一度言う・・その家の気位があるとすればそれはそこの女の持っている気位である

気位の証が女紋だ
母が肥桶を担いでいた70年前も今も日本の女が続いていると思える人にはそのことがわかる
写真は赤とんぼ
鯵庵(28.10.1)



Commented at 2016-10-01 09:41
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ajiankyoto at 2016-10-01 11:33
> kaiko8010さん
お許しあれ
Commented at 2016-10-01 13:43
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ajiankyoto at 2016-10-01 15:05
> kaiko8010さん
水もそれで運んでました
近畿では確かに[こえたんご]と言いましたね
肥料が必要だから女子もタンゴに立ちしょんだったと読んだことがあります
そんな景色見たことありますよ
Commented at 2016-10-01 17:18
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by ajiankyoto | 2016-10-01 08:32 | おなご編 | Comments(5)