2017年 09月 28日
酒の飲める女は器量よし
女史は「鬼平犯科帳」と「あぶり餅」が好きだと言ったが、もう一つ好きなのが京都の日本酒である
ちょい昔、地酒ブームがおこって、日本中のお酒が見直された
美味しい地酒は美味しいし、美味しくない地酒は美味しくない
こんな簡単な理屈があんたらにはわからへんのという
いい酒を造るのはいい材料といい技術者が必要なのはわかるやろ
それさえあれば何でもできるのとちゃうで・・
水も空気も歴史もが材料や
そやけどいい水と空気さえあれば美味しい酒ができるという誤解が地酒ブームを引き起こした
と女史は言う
御所の堺町御門を下ったところに「キンシ正宗」の「堀野記念館」というのがある
スーパー講師に案内されて京都市中の酒造りの歴史を一緒に見学してきた
約240年前天明元年(1781)ここで松屋久兵衛が蔵を開いた
その時の蔵と店と井戸が残っていてそれが今は記念館になっている
酒蔵は厚さ50センチの土壁て出来ていたため当時のものが残された
また、ここの水「桃の井」は往年の名水である
今も飲むことができるということで水を飲みに行った
この付近に御所の前に何十軒もあったのだという
隣は豪商白木屋だった
試飲させてもらいながら、240~250年前と言うと・・・、と得意の講釈が始まった
鬼平こと長谷川平蔵が京都西町奉行であった父や家族と1年足らずを京都で暮らした頃だ
ちょうど池田や伊丹の京都の美味しい透き通った酒が江戸でもやっと飲めるようになったころだ
まだ江戸には田沼政治が続いていた、江戸へ帰って父の蓄えを費やして放蕩している頃には上方のいい酒を飲んでいた筈だ
それでいて田沼に見いだされ、出世していく
それからも酒を飲みながら仕事が勤まったのは清酒ゆえだということだ
庶民が飲む濁り酒では仕事も寿命も持たない、清酒はびっくりするほど切れのいい酒だったのだ
都市には酒が必要である、中でも清酒は都市文化を支えるものである
朝廷の文化にも、町衆の文化にも、それよりもっと歓楽街や遊郭は酒の文化である
酒の質によって歓楽街にも上下があった
酒の悪い遊郭は没落した、花街という京都に残った遊郭は京都の酒が支えてきたのである
清酒が出来たゆえ女性も酒を楽しむことができるようになったという
京都の女はよく酒を飲む、確かに清酒ならいい女にも似あう
男と女を取り持つものになり得たのである
水商売で酒を飲まなければならない人は飲めない仕草を売りにする
スーパー講師のように自分の力で酒を飲める人に意外と京女を感じる
大胆にして上品、楚々として情が濃い、そのくせキレがいい
酒の飲み方でその人の生き方が分かるという法則は女性にも適用されるようだ
写真は誰?キンシ正宗のポスター女優である・・鰺庵(29.9.28)