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今でも錯覚が続いている/鵜の目鷹の目

今でも錯覚していることがある
実は、カラー写真はカラー専用のカメラで写すものだと言うことである
なんのことかわからない読者の方もおられるだろう
カラーフィルムを使うためにはカラー用のカメラを買わなければならないと思っていたことである
もちろん誤解である

今思えばおかしな話だけど・・、当時、カラー専用レンズなどと言ってしきりに宣伝していたからだ
かって映画は“総天然色”(初めから終りまでカラーだという意味)をうたっていたし、
雑誌のカラーグラビアは珍しく、全て有名女優をモデルの有名写真家の高価な作品であった
カメラについて言えば、カラー写真用の“レンズの切れ”が必要だと言ってたような気がする
白黒ではバレないけど、カラーになったらその切れの悪さが色調に出てくるというような意味だったんだろうか?
ある意味カラーフィルムやレンズの性能が格段に上がる時期だったのかもしれない
今でも錯覚が続いている/鵜の目鷹の目_b0355451_07433762.jpg
今日テレビを見ているあなたが、テレビはこれほど綺麗なものと“錯覚”してるのと同じことである
少し遡ればカラーだってブラウン管で十分に滲んでいたのをほとんどの人が知っている
デジタル放送も慣れたけど、時代が少し以前に戻ればすべて錯覚である
もっと遡れば・・
テレビのカラーはカラーの放送があってなおカラーテレビを買わなければ見られなかったのだから、
しかも、テレビはカラー用のカメラでなかったらカラー放送はなかったはず
カラーフイルムだけではカラーにならない、カメラもそんなものと思っていたのは無理もない・・??

白黒というのは光の明るさ強さのみに感応している不完全品なのだ
人間の目は、ピントも絞りも自動だが、なおその上に明るさも色彩も同時に感じられる
白黒の目を持つ人はいない
写真が単に記録するだけではなく、趣味の王様になれたのはこの不自然な不完全な白黒ゆえだったのだ
そう光の芸術なのだ
今となっては白黒だったことが錯覚だったのだろう
白黒で説得力のある写真はもう昔の写真でしか見られなくなったと思ってることが錯覚なのだろうか?
時代だけが教えてくれているのかもしれない
木村伊兵衛展に行ってきたのだ
鯵庵(10.8)




by ajiankyoto | 2016-10-08 17:55 | 写真 | Comments(0)