2019年 03月 21日
この世のことも分らないけれど
この世とあの世のことです
仏教用語では此岸(しがん)・彼岸(ひがん)と言うのでしょうか
この世のことも説明されないまま、あの世のこと言われても困りますが・・、
この世からあの世は私らには見えてません
この世があるようにあの世があるのではないということは私にもわかります
だが、あの世からこの世がどう見えているかということは分らない
もし、あの世からはこの世があって見たければ見えますよと言われたら、
あの世の私はその後の残した妻のことは別にしても、子や孫の姿は見たいと思います
出来れば家が残っていてほしいです
それは私が本当に凡人だからです
しかし、姿は見えても心は見えません
凡人にはこの世で見えなかったものが見えるはずがありません
仮にですが、あの世からこの世は見えていると教えられたら
私だけでなくこの世の人の生き方は大きく変わっていたと思います
しかし、見ているとしても何のシグナルも送って来ないなら同じことです
と、自分で自分にうそぶいてきました
仏だって仏になってまでそんな浮世のことはまで見たくはないはずです
たしかに仏は助けてくれません
自分が行き詰ってるのは天罰ではなくまさに自分がまねいたことなんです
仮に本当に父や母の言葉を聞けるとしたら、間違いなくその霊媒師には畏怖の念でのめり込みます
ただ、仏はきっと生きてる時と違うことを言うと思います
向こう岸です、彼岸と言います
向こう岸なら恐れることはいりません
こちらの人は今までどおり生地(ハギレかもしれない)のまま生きていけばいいのです
実は向こう岸から私を見ているのは、それは自分の目かもしれません
あちらのことは知りません
こちらのこの世は今もこれからも狂宴つづきです・・今はだから良くも悪くも救われているのです
鯵庵(31.3.21②)
自分が行き詰ってるのは天罰ではなくまさに自分がまねいたことなんです
仮に本当に父や母の言葉を聞けるとしたら、間違いなくその霊媒師には畏怖の念でのめり込みます
ただ、仏はきっと生きてる時と違うことを言うと思います
向こう岸です、彼岸と言います
向こう岸なら恐れることはいりません
こちらの人は今までどおり生地(ハギレかもしれない)のまま生きていけばいいのです
実は向こう岸から私を見ているのは、それは自分の目かもしれません
あちらのことは知りません
こちらのこの世は今もこれからも狂宴つづきです・・今はだから良くも悪くも救われているのです
鯵庵(31.3.21②)
by ajiankyoto
| 2019-03-21 00:05
| 家族
|
Comments(0)