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鳥羽離宮跡の安楽寿院


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強大な天皇家の権力と財が院政を支える時代だった
武士もまた院に靡いて、番犬のような役割を果たしていた
白河・鳥羽と祖父と孫で続いた院政は朝廷政治の実権を掌握していた
院政は自分の子に帝位を譲って初めて成立している
鳥羽院が崇徳帝が自分の子ではないことを知っている?
自分の子でない崇徳院の皇子を帝位につかす筈はなかった
鳥羽院の残された皇子は後白河であった
鳥羽院、後白河を帝位につけてすぐに亡くなった

鳥羽院4歳で即位してから50年、祖父にあたる白河院が亡くなってからも27年
崇徳・近衛・後白河と3帝に渡って皇家と朝廷の実権を握ってきた
鳥羽院は藤原忠実(たださね)を復権させた
摂関家の権力争いも加わった
跡継ぎ問題は今始まった話ではないが、その争いに番犬である武士の武力を使ってしまった
武士が実力を蓄え台頭する時代になってきた
もちろん歴史の教科書の通りであるがそれは我々の特権である

鳥羽離宮跡は今は残されたものが少ない
今まだ発掘調査は続くが、残念ながら古都の歴史観光的価値はない
竹田駅から西へ向かえばいい、国道と高速道路の輻輳するところである
田園風景に囲まれて今は京都一のラブホテル街になっている
城南宮を含んでこのあたり一帯が鳥羽離宮跡である
油小路の大通りに面して白河天皇成菩提院陵、大通りの東側の安楽寿院に隣接して鳥羽天皇安楽寿陵、二層の立派な塔は近衛天皇安楽寿院南陵である
田園風景の中に権力の割には密やかな鳥羽院政の遺跡と御陵が残されている
ここから、武士の時代が始まるという見方をすれば歴史の勉強も面白くなってくる
鯵庵(30.7.10②)

by ajiankyoto | 2018-07-10 09:10 | 崇徳院 | Comments(0)