鳥羽離宮の崇徳院

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崇徳院は74代の帝鳥羽院の第一皇子、72代の帝白河院の曾孫になる
しかしながら、実は白河院の子ではないかと言われていたことが歴史書物にも記されている
仮に、そうであったとすれば父であるはずの鳥羽上皇にすれば叔父にあたる
父鳥羽上皇に位を譲られ5歳で即位75代の帝となる
時は院政、その創始者である白河院の時代だったのだ
だが、白河院崩御、鳥羽院が治天の君となると立場が逆転する
76代は3歳の鳥羽院の第九皇子近衛帝に譲らなければならなかった

白河とは都の東、白河(今の岡崎)を言う、鳥羽とは都の南、鳥羽をいう
それぞれ、そこに自らの拠点を築いて院の都としたわけである
帝の名は諡名(おくりな)である、そのことにちなんで諡されているわけである
政令が専ら治天の君である院庁で行われたのを院政というのは教科書の通りだ
鳥羽の離宮の時代である、白河院が手をつけ鳥羽院が引き継いだ
都移りしたようだといわれ、王家、関白以下の朝臣、武士たち皆こぞって鳥羽の院に仕えた

崇徳徳はも鳥羽離宮田中殿にいたし、幼き近衛帝も皆ここにいた
その幼き近衛帝により皇統はも一度鳥羽に戻った
朝廷は安定を取り戻し近衛帝に弟頼長と兄忠通ともに皇后・中宮として娘を入内させた
先の帝崇徳院は新院と言われたが、鳥羽院が生きている間に浮かばれることはなかった
歌の道で時を生きていた

ところが鳥羽院最愛のその近衛帝が在位15年、17歳で亡くなった
近衛帝を継いだのは鳥羽院の第4皇子77代後白河帝であった
近衛帝の異母兄で、崇徳院の同母弟だった
待賢門院はもうこの世の人ではない
またしても美福門院が鳥羽院にささやいた
後白河は既に30歳に達しており皇統を継ぐということでは今まで埒外だった
後白河の皇子(二条天皇)の中継ぎだった
皇子は美福門院に育てられた猶子であった
美福門院と関白忠通の共同の陰謀だった

当時も異常事態と言われたが、実はそれがこれからの歴史の主役の登場だったのである
それでもまだ事件は起こらなかった<
崇徳院シリーズ
鯵庵(30.7.11②)

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by ajiankyoto | 2018-07-11 15:42 | 崇徳院 | Comments(0)