2016年 12月 18日
3条のレールは交わらない

日本で使用されてきたレール幅には狭軌と標準軌がある
鉄道は明治の文明開化の時に入って来たものだからサイズが日本式ではない
困ったことにメートル法でもなくフィートである
機関車を輸入しなければならず、当時の国鉄が採用したのが狭軌だった
それからずっと日本全国の国有鉄道(JR)線の線路幅である
それが3フィート6インチ(1067㎜)だった
それと違う4フィート8.5インチ(1435㎜)も世界に普及していた
京都電気鉄道会社(京電)は日本で最初の営業電車を走らせた
電気は琵琶湖疏水の水力発電で出来る
明治28年(1895)京都(東洞院塩小路)~伏見(下油掛)間を開通させた
その後順次路線を延ばしていった
北野へ行く線・出町へ行く線・蹴上へ行く線などなど
この電車は国鉄と同じレール幅であった
狭軌である、1067㎜である、鉄道趣味の人にはナローゲージとか言われたりする
京都電気鉄道会社路線は京都市民と経済を支えた
2代目京都市長西郷菊次郎の時に京都の将来を考えて市営の路面電車の整備に着手した
市電は京電に十数年遅れて明治45年(1912)から運行が開始された
その後、京都市によって京電の統合、買収交渉が進められた
大正7年(1918)京電の軌道21キロ、車両136両は京都市電に引き継がれた
京都市電は路面電車としての規格を先取りして標準軌を採用していた
標準軌は1435㎜、30数センチも広い
スチーブンソンの蒸気機関車の幅である
ヨーロッパやアメリカ大陸では多く採用された軌間だった
スタンダードゲージと言われる
一部区間では京電と市電とそれぞれの電車を走らせる必要があった
そのため、競合区間などでは3条のレールが使用されていた
それが挿絵のコメントである
市電化に伴って多くは標準軌に整備されていった
が、北野線のように市電廃線まで狭軌のままでの運転が続けられた路線もあった
北野(千本中立売)は千本京極と言われて京電・市電で栄えた町ではある
同じ市電でも挿絵のような京電タイプの電車が走っていたため他の街より市電への愛着が強いようだ
鯵庵(28.12.18)
北野線の様子は北野商店街のHPで
by ajiankyoto
| 2016-12-18 21:13
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