2017年 01月 24日
択一式で答えが合ったからと言って何が残るのだろう
随分前に親鸞聖人が語った(悪人正機あくにんしょうき)という問題が出たらしい
親鸞の著書歎異抄にある「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というこの言葉についての(選択)問題だった
答えは
『善人とは自力で善を行えるとおもっている人のことであり、悪人とは根深い煩悩を自覚し、どんな善をなそうと努めても、それが不可能と思っている人のことである』
悪人こそは往生するにふさわしい機根があると歎異抄は説いていると解釈している
救いを求めているのは悪人である、と言うのは親鸞の気持ちに沿っているかもしれない
悪人はその機根を多く持った人であるというのが悪人正機ではないだろうか
択一式で答えが合ったからと言って何が残るのだろう
阿弥陀如来は根深い煩悩を自覚出来れば善悪の区別などなく救ってやろうと言っているのだ
親鸞が生きていた時代から800年・・
お寺に走らなくともよい、せめて、親鸞と名のつく小説でも読みたまえ
今の高校の授業は我々には想像がつきません。
歴史や宗教や倫理を習うことは基礎的な知識として重要ですが、教えたらテストをし、当然入試にも出てくくるというものではないと思います。
入試に成功すると、京都の歴史も文化も皆学校で習ったわ・・全て合格したと思う人が多いので・・そのあたりのことをちょっと書きました。
ご意見は色々あろうことかと思いますが、これからも閲覧を賜りたいと思います。