2017年 03月 13日
雪に変わりがあるのだ
京都先斗町に降る雪も
雪に変わりがないじゃなし
とけて流れりゃ皆同じ
日本語の表現の難しさかもしれない
先斗町(ぽんとちょう)に降る雪も富士の高嶺に降る雪も雪に”変わりがあるじゃなし”
では、同じ雪だと言うてるわけである
冒頭の歌詞は間違いだとされながら訂正されることなく続いている
雪に”変わりがないじゃなし”は
”変わりがないわけではない"と意訳すれば、これも同じ雪だと言ってるように聞こえる
でも、雪に変わりは・・間違いなくある
なのに、変わりがないと主張している
・・溶けて流ればみな同じ
こちらが主題なのだ
雪は降ったところでまるっきり違うけれど・・雪は雪だ、とけたらみな同じ水になるのである
水には、雪ほどの差はなく皆同じである・・と言ってるわけである
"雪に変わりがあるじゃなし”では文法はあってても、文学ではなくなる
京都の雪は2センチや5センチでも雪である
それが今年は15センチも積もった(※28年)
我々が住んでいる都会が、一気に鄙(ひな)になる
鄙になるけど都会の雪は多少美しい
交通も支障が出たり生活は確かにしにくくなるが、はしゃぐ気持ちもある
朝早くから子供たちは雪だるまを作っていた
例年より大きいし、雪がきれいだ
これから先のことは分からないが、鄙の雪は京都の子には一生の思い出になる
やはり、京都先斗町の雪と苛酷な雪国の雪は違うのである
たとえ雪質が違っても、溶ければ同じだという
ほぼ100%がH2Oという化学物質である
姿が違っても違わなくとも水になれば同じだと歌ってると考えればいい
歌詞に関していえばその内どちらでも本当にいいように思えてくる
雪に違いがないというのは明らかに間違いである
今年も冬が去ろうとしている
鯵庵(28.3.13)
by ajiankyoto
| 2017-03-13 05:00
| 都市
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