2017年 05月 04日
がんこ氏の場合⑴
恩人である先輩(「がんこ氏」にしました)・・今施設で暮らしている
時たま小生様子を伺いに参上している、今はお元気である
実は10年ほど前に脳の血管が詰まって倒れた
幸いにして・・病院1年、車椅子3年で今は元気である
だがしかし、その後、奥さんと別れて今は一人
しばらくは自宅で一人で暮らしていたが、介護付きの施設に引っ越した
奥さんもいい人だった
献身的な看病・介護だったと思うが、がんこ氏が自分で車椅子に座れるまでに治るのを待って別れた
がんこ氏の話では、家族会議での決定だという
この間(倒れて1年ぐらい?)に夫婦の気持ちの大変化があって、
家族の結論は、結局はがんこ氏の病気が治って一人暮らしが出来るまで離婚を待つ、ということになったようだ
悲しいことではない、そのおかげか、奥さんの介護でがんこ氏は人より早く蘇った
雨の日も風の日も、奥さんに支えられ自分で車椅子を押し、自分で歩いた
家族だけが医者なのである
何よりも物理療法の看護師以上である、熱意でもある
複雑な愛であるが、別れたい一心であったというのはそれだけではないし違うような気がする
同じ齢であっても10年は感性が違うのが男女である。
奥さんに何か夢があったかは小生は知らない
例え、理想的な夫婦であっても・・がんこ氏が病気になって初めて相手を分かったこともあるのではないか
家族で出来る介護にはいずれ限界がある
息子さんは冷静だった、家庭裁判所の判事のようなジャッジだった
父上と母上のそれぞれの最後を看取る(正しく言うと〝見守る″)だけの根性はあったのではないか
がんこ氏は分かった人である
それでなくとも倒れて蘇って本当に人が変わった程の人である
年齢を経て思うことは「今までに想像もしない人生と・・想像もしない人が待っている」と知ったと言う
一人で施設暮らしが不幸だということはがんこ氏の口から聞いたことはない
(この項続く〉
鯵庵(5.4)
by ajiankyoto
| 2017-05-04 07:00
| 健康保険
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