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ボンさんが屁をこいた(後)

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本山なら宿坊(ホテル)を経営出来る
塔頭寺院ならそれなりに墓地の守や幼稚園経営でやっていける
観光寺院でなければ経営も出来ない
とすれば、俗世間に自ら近づいて入っていかなければ生き残れないことになる
どこが悪いのだと開き直らなくてもいい
宗教を広めるには俗化する宿命は避けられない

由緒や祈りも現在進行形ならお寺の生活も現在進行形なのである
・・と言えど、軒を連ねて俗なものが並んでいる街が京都である
ただの民家となすべきではないと
もともと寺は檀家があって、大檀家が国や豪族であれば公務員然と暮らすことが出来た
だから、堕落したとも言える
他人のために祈ることを忘れた
廃仏毀釈の憂き目にあった
肉食妻帯は以前からだとしても、家族を養っていかねばならなくなったら、俗そのものなのだ
それから150年、一度緩めたものが締まることのないのが世の常のことである

さりとて時代を戻せたとしても同じこと
今時、人より犬が好きなボンさんもいる
ぼんさんって近所の人、普通の人、俗な人・・
京都ではそれでも何百年とそれで付き合ってきた
それが「坊んさんが屁をこいた」である
ボンサンガヘヲコイタ、ボンサンガヘヲコイタ・・・・
子供達も肌で知っているし、親も止めることはない
それを見てボンさんがにっこりしているというのが本当の京都ともいえる

我が家のタヌキも目が霞んできた
鯵庵(6.14)

by ajiankyoto | 2017-06-14 18:37 | ご利益 | Comments(0)