2017年 06月 25日
大津から京へ入る道⑶/車石文化
一つの石は30センチ掛ける60セントほどで厚みも20センチ以上
これを車輪の幅に合うよう2列に並べたものである
別の文献によると軌道の幅は4尺5寸(136.3センチ)
溝は半円形に穿ったものや牛車の通行で自然に出来たものもあるらしい
石材の違いによる?
江戸時代中期これを大津から三条大橋まで約10キロ、5、6万個も敷き詰めたものである
舗道の厚みは日本の現代の車道と同規模だも言われる
ある研究者によると、文明国でありながらわが国の江戸期は舗道の文化が発展しなかった
それは日本人は昔から牛や馬を去勢して使うのを好まなかった
馬は何とか調教によって使いこなせるが、力は強いが牛は使いにくかった
牛車の牛が大暴れするのを平安時代の昔から経験している
だから都市では馬や牛を使う交通手段は危険なものとして禁じられていたことによる、とある
乗り物は駕籠であり、荷物は大八車である
ほぼ人力に頼る交通文化だったといわれる
それが舗道(ペーブメント)が発達しなかった理由だということだ
この項続く
鯵庵(6.25)
by ajiankyoto
| 2017-06-25 17:23
| 車石文化
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