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消費地が都である


400年前から東京が首都であるに続く

江戸を中心として見た場合でも三都と称されるのは大坂・京都である
時代が変わって政権が江戸へ行っても当時京都の人口は58万人もあった
それは西陣織などの繊維業が興隆を極め、呉服商や両替商などの繁栄が京都を一つの都市として支えるものであった
江戸の武家政権に対抗しうる力は実は京都の工業力とそれに伴う商業力(資本力)にあった
この工業力と資本力がいずれ政権の都に吸収されていくのは消費の力であり、消費地に向かって資本が擦り寄って行くというのが当然であった
元禄時代以降100年後の江戸の繁栄はそれが都であるということをむしろ如実に語っている
幕末の頃、一時薩摩藩が京都で政権を担うという幻想的バブルがあったが、廃藩置県により京都府(京都裁判所)となった頃の京都はおよそ25万にまで半減していた、という
そこから新しい京都が始まったという人が多い
鯵庵(10.9)



by ajiankyoto | 2017-10-09 07:05 | 都市 | Comments(0)