2018年 01月 02日
年賀状の小さな夢

友人から年賀状交換の中止を宣言する年賀状が届いたりする
それでも正月1日及び2日には返事を書くのが忙しい
ただ、相手からの年賀状がないときは書きようがないので・・まーそういうような形で結局は減っていくという結果である
2日の配達がなくなっているので、ちょっとモチベーションがしぼんだ
正月が元日だけで終わってしまうという感覚だ
年賀状を買いに行ったとき、お客さん、今は「官製はがき」とは言いませんと言われた
くじがついて切手を貼らなくていいから「完成はがき」と言うのと違うの?
そういえば官製はがきも”年賀状も出すが暑中見舞いも出す”から”年賀状だけ”になり、その年賀状も"年賀状をいただける人だけ”になってしまった
もちろん相手のご家族の幸運・幸福は祈りはするが取り立てて長々挨拶は要らない
「謹賀新年」だけで十分に通じる
年賀状が情報源(もしくわ情報発信)である時代も超えてしまったのかもしれない
いつも付き合いが絶えない友人とは「今年からは年賀状出さないよ」とあらかじめ言い合ったりしている
そのくせ、長い電話をくれたり、メールで思うところを送ってきたりする
考えてみれば忘年会をやる前に書いた年賀状が正月に来るというのもおかしな話である
孫が拙い字で書いた年賀状が届いてお年玉を送るような「年賀状の技」も期待できなくなっている
そんな素朴な技よりもっと、もっと手っ取り早い効果的な技が満ち溢れている
一層のこと正月に書くように風習を改めた方がいいのかもしれない
年が明けてこそお年賀だという本来の風習を壊したのも官製の年賀はがきかもしれない
日本郵便は毎年減っていく年賀状の売り上げを防ぐことは出来ない
日本郵便は毎年減っていく年賀状の売り上げを防ぐことは出来ない
10円サービスは日本郵便には痛いことも痒(か)いこともないのだから・・
しかも、日にち限りでは買いだめ効果も発生しない、ほぼ効果を打ち消す
寒空で年賀はがきを売らされる郵便局員の懐の方を心配してやるぐらいのものだ
年賀状文化を作ってきたのが郵便事業である
それを最後まで文化として大事に育てていくという基本努力を忘れたのだろう
それともそれが郵政民営化の効果なのかもしれない
年賀状文化を作ってきたのが郵便事業である
それを最後まで文化として大事に育てていくという基本努力を忘れたのだろう
それともそれが郵政民営化の効果なのかもしれない
減るのはかまわないが無くさないで欲しい、と密かに願う
年賀状だけで付き合ってる友人がいっぱいいる
やはりそれまでなくしてしまうべきではないと思っている
いずれ「友あり遠方より来る・・」である
今は年賀状だけだが、いつでもこちらに旅すれば寄ってもらえるだろう
その時こそ観光客でない京都の旅をおもてなし出来るわけである
かくして、この歳になってこそ年賀状だけで済む付き合いのありがたさを感じている
鯵庵(29.1.2)
あけましておめでとうございます。
昨年は気遣ってもらいありがとうございました。
本年も相変わらずですがどうぞ宜しくお願い致します。
ご挨拶が遅れました事をお詫びいたします。
昨年は気遣ってもらいありがとうございました。
本年も相変わらずですがどうぞ宜しくお願い致します。
ご挨拶が遅れました事をお詫びいたします。
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あけましておめでとうございます
今年も楽しまさせて下さいね
今年も楽しまさせて下さいね
by ajiankyoto
| 2018-01-02 09:26
| 翁草
|
Comments(2)