2018年 01月 03日
錦小路の屋台
平安時代には具足小路(ぐそくこうじ)と言っていたが、後、錦小路に改められる
具足が訛って"くそ小路"とも言われた、とある
四条より一筋南が綾小路(あやのこうじ)と言っていたのでそれに因んで錦になったという
秀吉の都市計画の時に寺町に歓喜寺(かんきじ)が移され、その鎮守社として天神を祀る社が建てられた
それが錦天満宮である
お寺の方は明治の神仏分離の時に東山五条に移転、天満宮だけが残った
街中の神社であるが、この境内に「錦の水」が湧いている
錦天満宮から西へ続くのが錦市場
錦市場は市場ではなく商店街である
錦市場のホームページによると、錦市場は開業以来400年になるという
大阪夏の陣の年である
江戸幕府が名実もに全国を支配した年である
元和元年(1615)徳川幕府から魚問屋の称号を許される
この地下水と直接的にかかわっている
江戸期から昭和に至るまで京都の中央市場の役割を担ってきた
約390メートル、幅3メートルでほぼ大丸百貨店まで続く
鮮魚・肉・鳥・野菜・漬物・乾物と食材を扱う店が多い
国内旅行の観光客を大事にしていたら、ここのところ外国人観光客で歩けなくなってきた
今やアジアを代表する観光屋台商店街になってしまった気がする
商店街の人は本当にどう思ってるのだろうか?
ようく見れば毎年少しずつ店舗が入れ替わっている
修学旅行生に優しい京都の町ではあった・・
修学旅行の女子があそこの焼いたイカが美味しそうだったと友達につぶやきながら歩いてた
今は歩き食いの外国人グループが大きな荷物と子供連れで追い上げてきている
小遣いに限りある修学旅行生にとっても波が荒い商店街になってしまった
市民も波が荒いのと活気とはずいぶん違うと気付きだした
特に彼の国の人たちは他国の文化を破棄する力を持っている
でも、今のうちに一度は覗いてやってください