2018年 01月 14日
日本の土木は葛野大堰(かどのおおい)に始まる

確かに今は機械化によって生産性は上がってはいるが・・
文化としては渡来人たちによって開墾され、教わった技術そのままの形だと気付く
水を張った田に苗を筋のように植えてのち水を切らさない・・・田植え一つ、平安京が出来た当時のままなんです
ご神田のお田植え祭の通り、変ったのは機械、例えば化学肥料など
品種の改良など関係技術は進歩したが、稲作の技術と精神文化は古代のままです
稲作に頼る文化と米を主食とする文化は日本の全ての文化の土台になっているのだ
それは、日本人の持つ宗教感の本(もと)にもなっている筈である
それからの日本人というのは渡来人と完全に同化していったからである
だからと言って、いきなり水利というのはありえない
農作だけのことを考えて欲しいだけの水を欲しいときに欲しいだけ得ることが出来ればそれに越したことはないが、自然を相手にそんなことが叶うはずがない
天候と川の水は元々制御の外のこと
そこに技術と言うものが必要
技術的に言えば不必要な洪水は出来るだけ影響少なく速やかに下って欲しい
稲作文化が氾濫の無いところに育ったことはない
大きく言えば氾濫の無いところに文明が育ったことがない
稲作にしろ治水しろその技術は都、言い換えれば都市を構築する技術だったのだと思う
京都の大土木工事は、秦氏の最初の葛野大堰(かどのおおい)から始まり、桓武天皇による都城建設を大舞台とし、豊臣政権の京都大改造につながっていく
利水と治水の歴史でもある
土木と言うのは都市になるための技術である
このあたりは大堰川(おおいがわ)という
鯵庵(30.1.14)
by ajiankyoto
| 2018-01-14 08:00
| 都市
|
Comments(0)