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建礼門院の往生


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建礼門院は出家
悲嘆のうちに八坂の長楽寺であった
その後、大原の寂光院に移った
寂光院の傍らに草庵を結び、勤行・念仏の日々を過ごした
女院が出家したのは30歳前後である
それから30年念仏三昧で暮らした

平家物語によれば
後白河が女院を訪ねてて来た時、庵の一間に「来迎の三尊を安置しあそばし、阿弥陀如来の御手には五色の糸をかけられていた・・」
かの御幸からも30年たっていた
その後白河法皇も20数年前に亡くなっている
名もなき草のごとく人生の半分をこの草庵で過ごしたこととなる
平家物語は大原で終わる

鎌倉幕府は三代将軍実朝、執権北条義時の時代になっている
武士による新しい秩序が出来上がっていたが大原は静かであった
南無西方極楽弥陀如来と念仏を唱えると・・念仏の声が弱まったところ
西の方に紫雲がたなびき不思議な香りが部屋に満ちた
絶えなる音楽が空から聞こえてきたと言う
女院59歳の生涯であり、往生であった

生まれは高貴ではあったが、世がひっくり返れば多くの罪を知ったろう
ただただ草のごとくの後半生を過ごした女人が念仏三昧で往生が叶うかも
明らかに鎌倉仏教の芽生えであった
平家物語はそのために書かれたということも言える
鯵庵(30.1.21)


by ajiankyoto | 2018-01-21 21:59 | 崇徳院 | Comments(0)