2018年 02月 13日
(続)正面通の行き着くところ・島原(その2)
都市では遊びごとが必要である
特に男の遊びごとに売笑(ばいしょう)はつきものである
言いかえれば媚びを売る商売は都市でしか成功しない
都市に人が集まり様々な階層の人間が貨幣経済の中で暮らし始めている
貧しさが原点だから・・何時の世にも絶対に無くならない
平安時代は京都が最も平和な時代でその時から職業化してきた
様々な形をとりながら芸能で生きる階層が形成されていた
都は大消費地でありその階層の中でも遊女もまた職業として成り立っていた
室町期も織田・豊臣の時代も権力の許しや黙認を得ていくつかの傾城町(けいせいまち)があった
権力交代によって都の外郭を回るように何度も移転せられながら、
その中の最大のものが東本願寺の北、六条室町(三筋)にあった
徳川体制の京都の町づくり、あるいは経済対策上の施策とし唯一官許としての保護を得てきた
南西の外郭丹波口に移ることによって公に商売の継続が許されたのそれが島原であった
写真は正面通(伝導院)
鯵庵(30.2.13)
by ajiankyoto
| 2018-02-13 08:14
| 正面通
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