島原のお茶屋/正面通の行きつくところ(続・・その4)

b0355451_20172693.jpg
茶屋とは茶店などと同じで休憩所のことであった
その中で飲食や遊興が出来る家が出てきた
これを江戸時代には出会茶屋(であいちゃや)とか待合茶屋(まちあいちゃや)とか言った
遊里(ゆうり)にあるのは引手茶屋(ひきてちゃや)とか言うのが時代劇に時々登場する
客が妓楼(ぎろう)に上がるまでの間、飲食や遊興を提供した
これが待合(まちあい)である

現代は遊郭(ゆうかく)はない
花街(かがい)で芸舞妓(げいまいこ)を呼ぶのはこの待合に限られる
京都ではこの待合のことを〝お茶屋″という
お茶屋は料理屋でないので仕出しの料理が提供される
貸席業である
芸者と料亭などで飲食したい場合もこのお茶屋を通さねばならない
お茶屋が芸者のいる世界・花街を商業として回しているのである

時代が前後するが・・
島原などの格式のある遊郭で上級の遊女(天神とか)をよぶのは揚屋(あげや)と言った
揚屋は大きな宴席にも耐えるように大きな台所を持った
この場合はお茶屋と料亭を兼ねたことになる
明治の初めまで続いた
この稼業でそれだけのものを用意できるのは相当大きな資本が必要である
花魁(おいらん)や遊女は江戸時代の資本主義のゴミ置き場のそばに咲いた花である
鯵庵(30.3.2)

[PR]
by ajiankyoto | 2018-03-02 09:34 | 都市 | Comments(0)