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女紅場(にょこうば)という学校

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京女(きょうおんな)といえば小生は〝京都で生きていくと自分で決めた女性″と定義している
だから東京生まれながらこちらのカルチャーのスーパー講師である女史も典型的な京女でもある
しかも、たまたまとはいえ・・学校は京女(きょうじょ)だから・・
京都で何代になるとか京都で生まれたかは条件ではない
京都という町はそういう町なのだ
京都で生きていくということは、京都で暮らし京都で働くことである

京都を愛する気持ちをバックボーンにして働く気持ちだという文化なのだ
田舎(ごめんやで、ちょっとこんな表現許してや)の高校を出て芸者に憧れて、
しかもそれなりのつてがあって京都へ来て舞妓になる
自分の体一つで、時に勉強して時に泣きながら・・
花街の女は芯が京都なのである、今でもそうである
明治の昔、ご一新の世に女工場というのがあった
遊女も舞妓も芸妓も、芸事も習うが勉強もし
やがて手に職をつけて出来ればそれなりに身を浮かせる道でもあった
都の遊郭にはそういう芸事学校が設置された

その昔は、人身売買と言ってもいい世界でもあった
女紅場(にょこうば、京都ではこちらを使う)は京都のゆえのものであった
女子教育に限って言えば極めて先進的であった
かの会津の新島八重が戊辰(ぼしん)の戦争で会津が負けてなお京都で女子教育に奮闘した
と、言えば何となくわかってくれるかもしれない
最初に手掛けたのが女紅場であった
当時のキリスト教的博愛主義だったかもしれないが、そう言うことが似合う都市だったのだろう
日本の女学校について・・講師のは話はまだ続く
鯵庵(30.3.26)

by ajiankyoto | 2018-03-26 20:59 | おなご編 | Comments(0)