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神泉苑と二条城

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整った日本庭園を見て、自然が一杯ですねと言って感心した人がいる
気持ちはありがたいしわからないでもないが、
京都の街中は極端に自然は少ない
日本庭園は全て人工であって、自然とは対極にある
平安京造営の際大内裏に南にあった大庭園も例外ではない
二条から三条までに達する池を中心とし天皇や公家たちの宴遊の苑が神泉苑
都の整備をするにあたっても特にこのあたりは沼沢の地であったのだろうと思う
泉は神の恵みであり池を掘り、堀を作って水道として大事にしていただろうことは当然である
自然の水の湧くところに巨大な庭園を作った
おかげで禁裏の中で舟遊びも花見も月見も楽しめたわけである

時代が下がって中世になって、徳川二条城は平安宮内裏の跡(東南端)とこの神泉苑の地に築かれた
一つはこの地が当時の都の大通二条通を城門で行き止まりにする位置であったことにある
二条通を境にし北(上京)に内裏や公家、南(下京)に都の商工業者や庶民
西の二条城の堀に近いところは武家の屋敷という配置である
あるいは築城論で言えば、その中の城にそれほど大きな堀は必要としない
それより潤沢な泉や井戸があるところであることが大事である

平安京は右京が長安城、左京が洛陽城といった
平安京が出来てから北斗の方角が玄武の居る北、北が上とばかり頭の中にある
実は右京・長安城は早くから廃れた
残された都そのものが城である
二条城は中世になって秀吉の整理した都市(ほぼ洛陽城)の西の端に当たる
京都を睨む街づくりのための城であり、その地である必要があったのだと思う
北斗の方向に権威を見ていた首を西に向ければそこに二条城がある
覇権は向きにこだわらなくともいいが
都に東面するこの城が内裏のような役割になる訳である
江戸政権安定の京都征服の城である
(この項続く)
鯵庵(30.4.26)

by ajiankyoto | 2018-04-26 08:22 | 都市 | Comments(0)