2018年 05月 01日
二条城と神泉苑(だめ押し)
「二条城と神泉苑」から続く

二条城がこの地である最大の理由は、この地が神泉苑の跡地であることだ
大規模な城郭を築くのに第一は掘である
堀を掘り下げ土砂を積んで石垣で城郭を盛って行く、清涼な満々とした水を堀に貯める
伏見城や聚楽第や大阪城のスケールの大きさを現実に見ている人にとってはこの城で京都人に権威を示さなければならないわけである
本当のビックは江戸にあるわけだから、神泉苑にふさわしく水に恵まれた城でないと
・・・この時代の常識で言えば井戸を掘ればいくらでも命を長らえる水を得られる城だということ
堀にいつも地下水が供給されてていること
美しくて落ちない城だということ
土木工学的に言えば水が集まり、元来川が流れ、水が湧く地が神泉苑ということだと思う
これ以前に二条城と言われるものが存在した
残っている徳川二条城とは現二条城ことである
二条城は明治になって離宮に今は京都市の所有、京都の世界遺産登録の一つでもある
築城時には天守も備えた征夷大将軍の都での居城であったが、大坂の豊臣家が滅んでからは戦略的価値が一気に消滅
軍事拠点は大坂へ移すことになった
二条城は徳川三代目家光以降、幕末まで200年以上も歴史上の役割を果たすことが無かった
当初天守閣もあったと言われるが、復興されなかった
それは戦略上の城ではなかったことによる
ついでながら、徳川政策は封建領主を中心にした地味な政策を体制維持の基本としていたため、直轄の地でありながら京都の街づくりにほぼ無関心であった
都といいながら覇権なき京都の時代がそれから始まったわけである
切り口の多い自由文化都市だった
そこに、今の京都の原点があるというのが小生のこのブログのテーマがある
鯵庵(30.5.1)
by ajiankyoto
| 2018-05-01 16:05
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