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醍醐寺と伏見区/伏見街道

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醍醐(だいご)にある醍醐寺は真言宗の寺
起源は清和天皇(※858即位)の時代まで遡る
弘法大師の孫弟子理源大師のが〝こんこんと水の湧き出る″この山に二体の観音をまつった
以後20数年醍醐天皇の時代に伽藍が完成したとある
何度も火災にあって荒廃していたのを秀吉の時代に再建された
秀吉の醍醐の花見(※1598)で花の名所となる
こんな由緒の寺も明治維新後の「神仏分離令」や「修験道廃止令」などの廃仏毀釈運動で閉山の危機にも・・
明治22年の陸地測量部の地図によると、奈良街道(伏見街道)沿いに民家があるものの醍醐寺や朱雀天皇陵などを中心とした水田地帯の様子が見れる
今は古都京都の世界遺産の一つでもある
伏見はほぼ秀吉の作った町
江戸政権に変わっても徳川直轄領としてかつ独立した町として存在してきたわけであるが・・
明治になって紀伊郡伏見町となる
昭和4年には伏見市になる
ところが昭和6年(1976)に京都市に編入され伏見区となる
2年足らずであったが伏見市として市政を敷いたことがある
その時周辺の深草村・竹田村・横大路村・納所村・向島村・醍醐村など合わせて京都市に編入され伏見区になった
その後昭和32年に久世郡淀町を編入
伏見区は紀伊郡・久世郡・宇治郡の一部を合わせて3郡にまたがった区となる
十把一からげの物語である
鯵庵(30.5.8)

「醍醐寺は伏見区だけど(市内バス事情③)」も参照されたい



by ajiankyoto | 2018-05-08 19:29 | 都市 | Comments(0)