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祇園感神院/祇園祭

牛頭天王(ごずてんのう)とは神仏習合時代の神
釋迦の生まれたところを祇園精舎という、その守り神
八坂社の由来を斜めに読むと、日本では最初播磨の国(明石)に垂迹(すいじゃく)、
やがて東山の感神院に移ったされる
で、祇園社の祭神、疫病を司る神(守ってくれる、が時に暴れることも)として信仰されてきた
この神を崇め鎮めるための祭りが祇園祭
人が集まり都市となれば一番恐ろしいのが疫病
怨霊は疫病だってはやらす
いったんはやりだすと死体の処理も出来ない
疫病で死ぬ人を見たときの人間は身分の貴賤に係らず恐怖から謙虚になれる
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八坂社旧記収録という書物によれば、
斉明天皇の2年(656)高句麗の使い来朝した時、新羅の牛頭山の須佐之雄尊(スサノオノミコト)を祀ったと伝えられる
八坂造(やさかみやっこ)の八坂郷の場所とされ、
考えられるに朝鮮半島から来た人が牛頭天王を祭ったが、
平安京が築かれた都の鎮護のために産土神としてスサノオノミコトと習合したということになるのかも
永保元年(1081)白河天皇が定めた二十二社の一つ祇園社となって、
神仏習合のまま有力寺院として地位を確立する
御霊会から続く御霊信仰と天王信仰の混沌とした社が祇園社であった
鯵庵(30.5.18)

by ajiankyoto | 2018-05-18 09:27 | | Comments(0)