崇徳院の母(前)

藤原氏の一族で閑院流というのがある
藤原氏は不比等の子の時に兄弟の血筋を区別して南家・北家・式家・京家に分かれた
二男前房(ふささき)の血筋を北家とよんでいる
その嫡流藤原師輔の子が兼家で、その子が道隆、道長である
兼家の弟が公季(きんすえ)である
その公季(きんすえ)の流れを閑院流とよんでいる
公季は道長の叔父である、公季の子は道長のいとこにあたる
閑院流の閑院は彼の先祖北家の繁栄を築いた冬嗣の邸宅のことを言っていた
里内裏にも使われた
宗家道長一統の繁栄を手助けしてきた

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3代目公成の娘茂子(しげこ)は後三条帝の后であり、白河帝の生母である
公季から4代目の実季(さねすえ)の娘苡子(いし)は堀河帝の后であり鳥羽帝の生母である
苡子の兄、5代目の公実の娘が璋子(しょうし・たまこ/1101-1145)である
鳥羽帝と璋子はいとこなのである
璋子の兄は、太政大臣実行である
実力者白河院あるいはその孫鳥羽院の外祖父はともに摂関家でなくてこの閑院流という藤原氏なのである
図を見るていただければわかるように、それがそのままもう一人の実力者後白河に続いていくのである

ついでながら、実行はこの後、三条を名乗る
同じく弟たちもそれぞれ西園寺・徳大寺を名乗る
閑院流と言われるこの一統も明治維新まで多くの公卿を出してきた
摂関家に次ぐ家格である
明治維新の時に三条実美が太政大臣に任じられたのはこの家格ゆえのことでもあった
藤原璋子続く
鯵庵(30.7.5)

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by ajiankyoto | 2018-07-05 09:24 | 崇徳院 | Comments(0)