2018年 08月 02日
骨を収める壺/京都の盆の過ごし方
我が家は親父も息子もここに納骨した
親鸞の御廟は木々の茂る小山である、形から言えば樹木葬である
現代の遺骨というのは実は灰なのである
間違いなくやがて土になり水になり最後には気化するものだ
部分収骨とは火葬場の骨上げの際、のどぼとけや歯骨などの一部の骨だけを拾って収骨することを言う
従って小さめの骨壺(9~15センチ)で足りることになる
骨壺の大きさは貴賤の区別ではない
それは収骨の習慣の差なのだ
遺灰の全てを骨壺に詰めることになる
焼却場に残すことが出来ない
骨壺が大きくなるわけである
それはあくまでも習慣というものである、遺骨信仰に変わりはない
ただ、関東方面の意識の強い人が京都の火葬場までついていくとそういうカルチャーショックを受けることはある
今は手元に置いたまま暮らす人もいるようだ
小さな墓に大きな骨壺は都合が悪い
鯵庵(30.8.2)