2018年 08月 04日
墓との距離が問題だ/京都の盆の過ごし方
ところが墓を移転(※改葬)するということは結構大変なことである
それでなくとも、自分が田舎を捨てて親戚も疎遠となれば田舎へ帰るのは墓参りと言えど辛いことである
先祖の墓と自宅との距離が問題になる
国の調査では出生地に住み続けてるいる人の割合は2割以下に減少している
もうこれ以上に下がらないかもしれないが、その大きな原因が都市移住と人口減少である
その残りの7割・8割の人の中で新しい墓を持つことがここ数十年続いてきた
墓地を分譲(土地は所有しない)する形の霊園が今までの主流であった
今でも条件のいい霊園墓地の競争率は高いけど、一方でそこでも無縁仏が増えている
評論家は都市移住の問題より今は未婚化の方が影響しているという
人間、子が出来て孫が出来てやっと先祖のことに思いが至る訳である
でも残念ながらその子に墓参りする姿を見せていない
生きてるうちに自分の墓を作ったって同じである、自分の墓に参るのを子供に見せても感動はないだろう
が、石の墓を持てる限りは生きた記念碑が欲しいというのが信仰になっている
ある人は、京都人とは「京都の街中に墓がある人だけが京都人」だという論を言う
それじゃ早いか遅いかだけで・・田舎とと同じことになる
毎年お盆には西大谷や東大谷の墓地の墓参りの姿が放送される
お盆の風物詩としての映像である
墓の数は山を登るように壮観だがもう限界でもある
せせこましいのも京都では風情ではあるが
改めて石の墓を持つ身分になるには人生がはかなすぎるのとちゃうか
と、墓の入り口の六地蔵が言う
人口の流入によってむしろ田舎の文化が都市にまで及ぶこともある
自分の墓を守してくれるのは自分の子供達だという一番大きな信念が崩れつつある
いずれ魂は気化して、残るのは土と水だ、都会の人はもともと都会が墓場だ
都というのはそう言うものなのだ
鯵庵(30.8.4)