2018年 08月 07日
施餓鬼(せがき)/京都の盆の過ごし方
餓鬼は餓えた状態にある
人間の糞便や屍など不浄のものを食う
人から施されたものなら食うことができる
人は死してまた地獄でも六道を輪廻する
六道とは天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の六つをいう
その内、畜生道・餓鬼道・地獄道を三悪趣といい、その一つである
貪欲な物惜しみの心で人に施しをしなかったもの
私利私欲で他人の財産をだまし取ったものなどなどが餓鬼であり餓鬼道に落ちるという
仏教ではそのように説くが、現世民間では餓えや行き倒れで死亡した人間の死霊を恐れて言う
先祖だけではなく無縁の精霊に飲食を施すことにある
元来、盂蘭盆会(うらぼんえ)の主となる法会である
だから、厳密に言えば先祖供養とは別のものでもある

翻れば自分もまた貪欲な物惜しみの餓鬼である
特に平安時代の仏教は富める者の独占物である
地獄からの救済について明らかにしていない
やがて六観音が当てられ、最後は阿弥陀如来による救済に結びついていく
市井の聖、空也上人はこの地上での餓鬼の姿を目の当たりにし救済を続けた
六道の辻には都の最大の葬送地鳥辺野が広がっている
毎日運ばれてくる屍はここに捨てられる
その姿が既に地獄であり、当時の人にとって地獄は見えるものだったのかもしれない
この場で無阿弥陀仏という念仏を説きながら、現実に屍の処理をした空也への信仰は仏教が庶民のためのものとなる第一歩だった
地獄の存在を知らしめた源信の『往生要集』が成る10数年も前のことである
六道珍皇寺にほぼ隣接して空也上人にゆかりの六波羅蜜寺がある
この寺も初めは観音信仰として建てられたがやがて地蔵信仰の寺としての説話を多く残している
やがて鎌倉時代以降は阿弥陀信仰と並んで地蔵信仰が盛んになる
人間は死して地獄に堕ちるが、地蔵菩薩によって救済される、という
地蔵菩薩は地獄にも現れるスーパーな仏である所以である