2018年 09月 15日
八幡大菩薩その3

それが石清水八幡宮である
平安時代前期に八幡神(はちまんじん)は応神天皇(おうじんてんのう)、その母神功皇后(じんぐうこうごう)であるとされ、それによって皇室を守護とする神として祀られるようになった
以後、神仏習合の例によって、八幡大菩薩であるとともにホンダワケノミコト(応神天皇)と同一視されていた
平安後期になると武士階層が台頭し、八幡神(はちまんじん)を武神として崇め、特に、清和天皇は源氏の祖、武家の源氏が八幡神を氏神とし全国各地に勧請した
石清水八幡宮の社格は極めて高く、二十二社の中でも上七社に位置づけられる
しかも伊勢の神宮に次ぐ社格である