2018年 10月 15日
京都の自転車⑸冷蔵庫のある暮らし(続)
子供も夏休みは氷屋を待つのが日課だった
氷屋にしても午前中の仕事である
むしろをかけた氷も暑い日には融けだす
氷のある生活といえば、それまで高貴な方にしか味わえないものだったのだから
明治になって製氷技術が進んだことの恩恵であり
主婦にとってうれしいことだったに違いない
父は家で冷えたビールが飲めた
私ら子供にとってはスイカやトマトの味である
トマトもモモもリヤカーで売りに来ていた
ケツがまだ青くてごつごつしたトマトが記憶に残っている
都市暮らしをしていたが日本の農村がすぐ近くにある生活だった
村から出てきた都市住民の多くが農村を近いものと感じていた
トマトを冷やして食わせてくれた父母がまだそこにいた
これも田舎から来た我が母の思い出の一つである
鯵庵(30.1015)
by ajiankyoto
| 2018-10-15 09:12
| 家族
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