2018年 10月 19日
カッコよく齢をとることを諦めよう
テレビで見ると、この頃はますますむさくるしい感じる風貌だ
しかも、白髪頭の年寄りにしては眼に力がありすぎる
もちろん彼は歌手であり、役者や俳優ではない
20曲も30曲も歌う舞台を今でも出来る
実は・・彼は京都の地が生んだ英雄なのだ
当時の京都の風土が彼に乗り移って・・彼こそがグループサウンズの最大のスターなのだ
しかも、スターのまま今に至ってるのである
音楽というものが才能であることを我々はあの時ぐらいから知った
作曲家も作詞家ももちろんも演奏家も同じである
一人の才能によって新しいものが作られていく
ただ、50年前は音楽は生活とはかけ離れたものであった
ロカビリーがはやった時もグループサウンズがはやった時も
モンキーダンスと同じく、実際は世間の枠外だった
音楽は若者にとっても間違いなく勉学の妨げになった
そのことを承知で音楽の世界に向かった人のほとんどがその後やがて普通の世界に帰ってきた
その内、わずかな人が今も趣味で音楽を奏でている
不良のまま大人になることは難しい時代だった
プロになって帰ってこなかった人も確かにたくさんいるが、成功できた人は極めて少ない
当時の人の中で最大の成功者(スター)が沢田研二なのである
小生も"枯れたタイガース"より"枯れた勝手にしやがれ”の方が好きだ
それは彼個人の一人拗ねた音楽的才能によってである
だからこそ、我らは彼が最後まで昔の高校生のような骨のある不良であることを期待している
ただの紳士になったのでは不良のダンディズムに反するのである
落ちこぼれが不良になったのではない・・
ドタキャンぐらいで世間に媚びたのでは面白くない
彼のぎょろ目はいつまでも反抗的でなければならない
当時まだ一地方都市である京都が持っていたスピリットの一つなのだから
鯵庵(30.1019)
ナショナルはナショナルでいい
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ago1-filo2 at 2018-10-19 09:22
どんなに恰幅が良くなろうが、ジュリーは、ジュリー。
チョイ悪なんて、イタリア男の真似なんざぁ致しません。
元不良じゃなく、現役の不良でいて欲しい。
狡いジュリーは嫌だけど、我儘なジュリーは許せる気がします。
チョイ悪なんて、イタリア男の真似なんざぁ致しません。
元不良じゃなく、現役の不良でいて欲しい。
狡いジュリーは嫌だけど、我儘なジュリーは許せる気がします。
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ajiankyoto at 2018-10-19 17:05
鯵庵も芸能ネタをやってみましたが・・読者がいて、しかも同じような思い人の声が聞けて喜んでいます。昭和の「不良」を代表して、この際だから最後までつっぱった方が面白い。鯵庵
by ajiankyoto
| 2018-10-19 08:36
| 京都の水
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