葬式のレール⑶無縁死

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孤独死のもう一つの寂しさは葬式である
いわゆる"直葬”になる
火葬のみである
「チチキトクスグカエレ」、遅れて死に目に会えなかったというような文学の世界ではない
むしろ、腐敗した屍として他人に発見される生物学の世界である
"行きだおれ"ということもあるかもしれない
身元が分からなければ「行旅死病人」として自治体のお世話にならなければならない
そこまで行くと身内に葬式をしてくれる人すらいないのだ
それが「無縁死」という状態なのだ
750年前親鸞が亡くなった時、清水の鳥辺山で親鸞を荼毘にふした
親鸞であっても荼毘にふすということは宗教を超えた瞬間かもしれない
肉体がなければ拝まない古代の宗教観を超えた瞬間かもしれない
現代こそどんなに無縁であろうと火葬だけは行わなければならない
それを・・例えば「直葬」(※ちょくそうというのが普通・音が誤解の元になるが・・・
小生は時々じきそうと言ったりする)とよんでいる
どんなにみすぼらしいことであっても選択肢はそれしかないのである
ただ、葬儀である限り個人と遺体の尊厳は守らなければならないし、守るべきである
実は火葬こそほぼ1000年近い歴史があるのだ
鯵庵(30.11.6)

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by ajiankyoto | 2018-11-06 20:17 | 地蔵菩薩 | Comments(0)