2021年 04月 02日
葬式のレール(7)葬式は誰のために
例えば小生の父はそのことを言い残さなかった
小生は自分の意思で父の葬儀をした
葬儀屋の会場の都合もあった
大きな葬儀ではあったが・・
父の住まいから距離があった
体の調子の悪い父の友人たちの参列が少なくなった
親族の他は多く私の仕事の関係者であった
だが、あらかじめ下あたりした地元の寺院は宗旨の違いで断られていた
父も私も付き合いがなかったのだから仕方がない
生きていた人の尊厳は葬儀が終わるまで守られなくてはならない
長く難病と闘っていた父としての尊厳はかすかなものになっていた
が、私は父の人生を誇りあるものとして見ていると多くの人に語り得た
それが父のためだったのかどうか、父に気持ちを聞くことは出来ない
葬式は誰のためにするのかというのは現代でも命題の一つになり得る
男性も女性も、社会や家族の現役を離れて20年も30年もたっている
寿命を全うすれば・・
それはいかに普通の人になるかという旅でもあり修業でもある
その旅の終わるときに過去の栄光が気になるならそれでいい
最後の見栄という人もいるだろう
が、多くは家族の気持ちでもある
我が国で死亡した人の99.99%が火葬である
火葬場の煙突から陽炎のように揺らめく空気を眺めれば
葬儀が誰のためであってもそんなことが気にならなくなる
昔、荼毘(だび)にふせば大勢で一晩中かかったことも
今は一時間ほどのことである
酸化という化学反応である
残されたものは骨ではなく無機物の灰だけなのである
鯵庵(30.11.10)