2019年 01月 04日
作品がなければ出会いがないのだ銅心先生

市井の工芸師である銅心先生の作品だ
銅心先生は75才、金儲けのために物を作るのは卒業した
今となっては多くの道端の業師(わざし)の仲間に入るのかもしれない
その銅心先生の作品が転がり込んできた
世間の物は欲しいからといって手に入るものではない
人も出会いなら、物も出会いである・・
一つ欲しいと言ったら、作り立ての蓋がぴったりだった
蓋と言ったが皿でもある
節だけになった指で目の前で編んでいた・・ずっしり純銅である
今日は、まだ、これしかできていない
新年の初仕事でいい男に出会ったと言ってくれた
持って帰ってくれと言い、笑って材料代だけはくれと言う
たとえそれが都合のいい話であってもいい
世間は自分の都合で動いたことはない
今回はたまたまのことである
それは、先生の生き方のようでもある
作品は計算されたものであるが暮らし方は計算できない、という
新年早々そんな人にばったり会っただけでも縁起がいい
こういう工芸の心が隅に追いやられてしまっているのが伝統工芸の街京都なのだ
ただ、京都にはまだまだ出会えるものがある筈だ
私は骨董商でもないし、目利きではないし、これは自慢話ではない
作品がなければ出会いがない・・というのが私の主張である
鯵庵(31.1.4)
大変遅くなりましたが本年も宜しくお願い致します。
鯵庵さんの素敵な話を楽しみに致して居ります。
鯵庵さんの素敵な話を楽しみに致して居ります。
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今朝もみっかった
> 瀬川昌子さん
それはよかった
それはよかった
by ajiankyoto
| 2019-01-04 19:32
| 京都の水
|
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