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雨水(うすい)の頃


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2月19日は二十四節気の雨水である
この時は”あまみず”と読んではいけない
立春からほぼ半月、その分温かくなまっていた体が動き出す
ほぼ施設のお泊りに慣れてきた田舎のババ(家内の母)から電話が来る
「なにもせんでもいいのか」
「おばあちゃんもうなにもせんでもいいのだ」と言うと
「百姓は今日することを延ばしてはいけない」と言う

田舎の百姓作業もずっと昔から共同作業になって勝手に何かすることはない
その共同作業にすら20年も前に来てくれるな(定年)と言われた
自分の畑を作るのは勝手だが、それが今「道の駅」に出せば金になる
隣の家も隣の家も元々兼業農家だったから・・
今は逆に年金を超える収入があるという
日本の農民は勤勉だからもう「雨水」の頃には動き出す
だから気になって仕方がないのだ

やっと施設に泊まれるよう進めてきたのである
何とか施設に馴染んでほしいと思っている
「もう百姓仕事は無関係だ」と言おうとするが、それが理解できない
電話で言い含めようとしても喧嘩になるまで続く
もちろん認知症が進んでいる
初歩だと初歩だと言っているうちに本人は時に30年位は話が戻ってしまう

今でも、畑に出るのが嬉しいらしい
家内にも、野菜作りをやめるように言っているがなかなかやめない
そう思えば米作りから野菜作りまでプロだった母親がきっぱりやめられるものでないのは分かる
ただ、もう何も出来ない
一人で出来ないことをするということはそれなりに迷惑になる
小生はそう言うが、そこまで言われると実の娘である家内には辛いことだろう

思うに日本の農業はそうやって進化しそうやって滅んできたのだろう
老人は現代の農業生産に関与していない
仮に、そのような姿を見るとしたらそれは道の駅農業であり家庭菜園である
田舎の家庭菜園は単にじいさんばあさんの小遣いになっているのではない、家庭菜園農業なのである
家庭菜園のビフォアーが「道の駅」でアフターが「老人施設」である
もう一段認知症が進めば完全にアフターである
だから、畑が気になるとディサービスも泊まりも行かないとごねるのである

田舎の共同作業も数年前から株式会社制度になっている
お彼岸の頃には株式会社の大きなトラクターが動き出す
何もかも数人の達者な人(老人が多い)のみがやってしまう
何にもせんでもいいのとは違う、何も出来ないのだ
田舎にいて、誰も百姓仕事に手を出せなくなっている

畑仕事は季節とともにある
なのに季節と関係のない辛い生き方だけが残っている
鯵庵(31.2.19)

by ajiankyoto | 2019-02-19 08:51 | 家族 | Comments(0)