2019年 03月 28日
20インチの自転車

肉屋に行って(並、100…円)と言うのが小学生の私の仕事だった
公設市場だからそれで小学生の買い物お使いが出来た
もちろん我が家の今晩にふさわしい肉を買っておいでと言われたらお使いは出来ない
ひょっとしたら今でも出来ないだろう
父親のタバコを買いに走った時、前かごに入れたタバコを落として帰ってきた
父は怒らなかったが、私は夕暮れまでタバコを探し回った
私が小学校の高学年になった頃、妹が目の病気になった
私は毎日妹を後ろに乗せて一駅向こうの目医者に通った
振り返ればそれが妹の難病の発症の始まりだった
一番大事な時に医者はビタミン剤を飲めとしか言わなかった
私が親に変わって医者に連れて行って何になるのだろう
自転車ではないが・・
話は自転車からそれたが・・私の20インチの自転車は小学校の入学祝に祖父が買ってくれた(と父が言っていた)
買ってくれてすぐに祖父が亡くなったので買い替えが出来なかった
私は小学校終わるまでその自転車が愛車だった
我が家の自家用車だった・・よく働いてくれた、すごいと思う、不思議にパンクの記憶もない
中学になって通学のために買ってもらった自転車は26インチだったが、
そのころが一番よかった気がする
妹にとっては病が再発するまでの間の記憶が一層濃密なのだろう
何度も生きるか死ぬかの山を越えてきた・・・が、今も自分の家族を持っている
子供用の20インチの自転車が支えて来たものがある
シンプルでタフで贅沢も道楽もない、リヤカー並みに働いてくれた
本当に・・足が地面ついてる
そのかっこ悪さこそが原点なのだと思う
それが小学生の時の私の家族の思いだった
