2019年 05月 16日
出会いと縁の違い
絵馬の話である
”この人と結婚したいと思える一途でかっこよくて経済面もよくて最高の男性と付き合って結婚してとても幸せな家庭を作りたいです。その人に出会って付き合うのは1年以内にお願いします!!○○○子”
これだけのことを絵馬に書き込むには相当な時間(根性)がかかる
端的に言えば"欲どおしい”が、まだ期限を切っているあたりが神社の都合を心得ている
神社のお札の有効期限は1年である・・だとすると絵馬も同じだろう
余り欲どおしいと裏向けにされるが、ただ、神様は苦笑いで済ませてくれそうだ
どうせ何回も期限切れになる
今日も神前で結婚式があった
貸衣装と写真館がセットだから、白無垢の角隠しをしていた
結婚しても夫を信頼し、また助け合いながら健気にたくましく生きなさい
そして、これからやってくる多くの不満と不幸を力いっぱい乗り切ってください
実は、小生が後ろから柏手して直接端的に神様(大己貴命・おおなむちのみこと/大国主神のことである)にお願いしておいた
神話によればオオアナムチノカミはスサノヲの6代の子孫であったり、スサノヲの子であったりする
スサノヲの住む黄泉の国から逃れてきて、国津神になったとされる
大国主の神(出雲の神)となった
古事記やら日本書紀などまとめて言えば大国主には6人の妻があった
初めの頃の妻、であり正妻の位置にいる須勢理毘賣(すせりびめ)は嫉妬深い女神だった
「神は男だから国ごとに妻がいる・・・が、私にはあなただけ」という歌を詠んでいる
嫉妬心を互いのために上手に使える女神であった
女神なのに人間みたいな気持ちを持てたと言った方がいい
それでなくとも女神は嫉妬深いことが当然だ
神と言えど結婚は子を設けることが重大な仕事になる
神々はそれぞれ血統がある
神が神とちぎって神を産んでいくのである
それが縁である
庶民の縁というものはただ接近したということである
実はそれをどう生かしていくかということが結ぶということである
「結婚を焦っているように見られるのが一番嫌なことだ」というのが結婚しない第一の理由だと言ってる評論家がいる
確かに、あの絵馬を書いた子は一方でそう思ってるような気がする
小生は思う、結婚は怖いという予感が当たっているのだろう
だがしかし、恐くない結婚は神様だってそう得られるものではない
神様は評論家ではない、素直にさえなればどんな人の気持ちも聞いてくれるだろう
ただ、出会ったことの縁を結ぶのはあなた次第である
そういえば、絵馬を書いた時の期待も"出会い系"と全く同じかもしれない
鯵庵(1.5.16)
鯵庵さんおはようございます。
興味深いご高察のかづかづ、楽しく拝聴させて頂いております。
予期せぬイイネをたくさん有り難うございました。