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絵馬堂の成れの果て

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東山安井の金比羅さんはもっぱら“悪縁切り”を売りにしていた・・
「崇徳院」という歴史分野のカテゴリーの中で安井の金毘羅宮のことを(頼まれないのに)紹介してきた
明治になるまで実はお寺であった
安井光明院観勝寺と言うたらしい
平安期に崇徳上皇の寵愛した阿波内侍が出家した寺でもあった
そのえにしから、崇徳上皇の霊の鎮魂の役割を果たしてきた
神仏習合の例にもれず、江戸期には崇徳院が流された地の縁で四国の金比羅権現を合わせ祀った
安井の名は安井門跡の安井でもある
明治の神仏分離で安井門跡は廃寺となり、安井神社になって残り
神仏習合の金比羅権現を大物主の神に改めた訳である
大物主神とは三輪の大神である

だがそれで、大寺院の成れの果ての神社が生きていけるわけではなかった
崇徳院が上皇でありながら讃岐に流された歴史にちなみ悪縁切りのご利益を売りに出したという話である
アベックが知らずに参ったあとすぐに別れることになったと言う苦情が来る(?)くらいの効き目あり、
なんてなことが京都案内の本の定番フレーズ
・・として成功した訳である

今のように多くの女性観光客が押し寄せる結果になった

明治からの神社信仰を絵画にした固有の美術でもあるのが絵馬である
安井の金毘羅絵馬館は昭和51年に整備された絵馬の美術館でもあった
絵馬堂をのぞかせて欲しいと言ってみたら「工事中」というそっけない返事である
この場合はすぐに壊す訳ではないという意味に聞こえた

良縁を結ぶくらいの平凡なご利益なら昔は町内のおばさんでも出来た
悪縁は良縁の成れの果て、良縁を結ぶということは悪縁の種を作っていることになる
それでなくとも隣は京都市中の唯一の昔からのホテル街、京都の人はたいてい一度や二度はお世話になっている
と言って、以前に紹介した隣のホテルは取り壊されていた
悪縁より良縁、暗いところより明るいところ、怨念よりご利益、年寄りより若い人・・
絵馬も軽く薄く玩具のように・・なんでもそうなっていく

鯵庵(1.7.16)

by ajiankyoto | 2019-07-16 21:03 | ご利益 | Comments(0)