2019年 12月 06日
おもてなしの文化

おもてなしというのは見えないもの
修練と精進を積み重ねたものを雅と言う
一方で流行語になったおかげですっかり雅(みやび)でなくなった
もてなす相手を選ぶのはもてなしの心ではない、雅ということは一つの静かな境地をいう
〝もてなす″という言葉は教養の都であった京都の美徳の一つ
その振る舞いに秘めた心である
本来対等である筈の言葉だが、そのうち変にへりくだっていたかと思うと、いつの間にか位が上になってしまって、もてなされるためには相当なものが要る時代になってしまっている
高級な〝おもてなし″の対象になるためには行列に並んだり割高だったりその上で相当に卑屈にならなければならない
ところが実は卑屈になどなっている人もそれが内心嬉しくってなお並ぶ
そこまで行けば商売も〝濡れ手に粟”状態となる
そういう商売人がこの頃〝もてなす″という言葉をよく使う