2020年 01月 07日
今年はコマネズミ年
昔、京都に新京極や西陣には何十軒もあったと思う
一番記憶に残っているのは鞍馬天狗シリーズ
あの松島トモ子ってすごかった、今いくつだろう?
知ってる?ライオンかヒョウに襲われる前の方が大女優だったの
娯楽はそれしかなかった、でもみんな繁華街に出ていた
子供の教育上悪いというような繁華街はなかったように思うのだが・・?
庶民の子供は映画と繁華街に育てられた?
お笑いと映画しかなかったが、映画は途中でフィルムが切れてなおらないことがあった
その時小生の父は悔しがった
自分が言えないことを映画がしていてくれてた・・?
昭和33年子供ながら大人の映画を見た
それが松竹映画「太閤記」、木下藤吉郎は高田浩吉だった、信長は松本幸四郎(初代鬼平)だった
大名になった藤吉郎が母をお城に向かえる場面が記憶に残っている
吉川英治の原作の筈、藤吉郎はこまねずみのように働く明るい青年であった
出世していく藤吉郎の明るさは歌う映画スター高田浩吉と重なる
戦国時代なのに江戸時代のような飾った駕篭が出て来たり、底抜けに明るい映画だった
秀吉は天正元年に信長から浅井長政が支配していた北近江を与えられ長浜に城を築いた
37才で信長配下で約12万石相当の大名になった
天正と言う年号は近畿での信長の覇権が固まった年である
その後の歴史を知っている我らは戦国時代の終わりが明らかに見えた年であると思えばいい
小生、サラリーマンしているとき、仕事と言うものは″こまねずみのように”働くものだと上司に言われた
もちろん、こまねずみのようにとは朝から晩まで休みなく働くということである
この頃、ふと少し気になることがあって調べてみると
コマネズミとはハツカネズミの変種、突然変異で耳の中にある三半規管が働かず平衡感覚が異常になったもの、それを固定したものと言うらしい、マイネズミ(舞うネズミ?)とも言う
自分の尾を追いかけてぐるぐる回る習性がある
皆さんが思っている、垂直の車をよじ登るように一日回して齷齪(あくせく)している状況を言うのではなさそうである
コマネズミは独楽(こま)のように水平にぐるぐる回るからコマネズミと言うらしい
映画の藤吉郎は歌で出世した訳ではないが・・
でも小生・・高田浩吉のように歌もない
その上藤吉郎みたいに母を迎えに行けないような男だったら、ただのコマネズミと言われても仕方がない
ネズミにような体で、猿のような顔をしてても・・男は藤吉郎なのだ
鯵庵(2.1.8)
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u831203 at 2020-01-08 08:45
そうですね あの頃の娯楽といえば映画かパチンコぐらいしかなかったですね
鞍馬天狗、懐かしいですね 嵐カンが「杉作、日本の夜明けは近いぞ」このセリフ覚えていますよ 松島トモ子、やたらと目ん玉の大きい子でしたが、まだ健在でしょうか
♬シラサギは小首かしげて水の中~ 高田浩吉は歌う映画スターのはしりでしたね
あの頃の映画館は椅子はガタガタで、座ると便所のの匂いが漂ってくるところばかりでいたが、京都はまだましだったかな
映画会社も経営が行き詰まると、忠臣蔵をオールスターでやったもんです 市川右太衛門、片岡千恵蔵などですね
昭和は遠くなりにけりですね
思い出をありがとうございました。 masa
鞍馬天狗、懐かしいですね 嵐カンが「杉作、日本の夜明けは近いぞ」このセリフ覚えていますよ 松島トモ子、やたらと目ん玉の大きい子でしたが、まだ健在でしょうか
♬シラサギは小首かしげて水の中~ 高田浩吉は歌う映画スターのはしりでしたね
あの頃の映画館は椅子はガタガタで、座ると便所のの匂いが漂ってくるところばかりでいたが、京都はまだましだったかな
映画会社も経営が行き詰まると、忠臣蔵をオールスターでやったもんです 市川右太衛門、片岡千恵蔵などですね
昭和は遠くなりにけりですね
思い出をありがとうございました。 masa
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by ajiankyoto
| 2020-01-07 19:26
| おとこ編
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Comments(1)