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葬式のレール(27)その(4/9)

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前項より続く
以前、私の母のことを少し書いたことがある
片足が腐って切断の手術を受けた
その時一度母は死を覚悟したらしい無言の行を行ってるかのようにもはや何も言わなかった
私と母は姓が違う
母は50才を過ぎて離婚することになった
40数年後にあった母は病院にいた
それまでは母は私の連絡先も何も知らなかった
病院の努力だった
看取りという言葉は美しい
が、家族に看取られてという美しい状況になるとは限らない
定義としての「看取り」は
「無理な延命治療などをおこ行わず、高齢者が自然に亡くなるまでの過程を見守ること」を言う
死の瞬間、死に目に立ち会うことと別の言葉である
自宅で最期を迎えたいという希望する人は相当多い
が、終末期を在宅で言うことは難しいし、事情が許さないことが多い
看取りの一番大事なことは、その人の人生の最期といかに大事に大切にするかということにある
700キロも離れた病院にいる母の死の瞬間に立ち会うことも出来なかった
そのことは悔いが残るが、葬儀は私がしたし、遺骨は私が持って帰った
“骨だけは拾ってってやる”という約束はきちっと守っている
長期に渡ってケアしてくれた病院の存在に本人にも家族にも救いだった
それが看取りなのだろう
おかげで・・何よりも・・死はゆっくりと平穏にやってきた
本人の意思を尊重しながらも親の死に当たって責任を取るのは私の役割だった
決めておかねばならない、あるいは即時に判断しなければならないのが「延命治療」である
安楽死という言葉もあるが、日本の法体系では許されていない
もちろんそれではない
無理無用の延命だけを目的とする医療のことである
それを自ら拒む意志のことである
自分の意思で延命治療を拒み、それなりの死を迎えようという考え方のことである
「平穏死」という結果、が得られたのは救いだったからだ


この項続く
鯵庵(4.4.27)



by ajiankyoto | 2022-04-27 10:00 | 葬式のレール | Comments(0)