2020年 04月 03日
限界が近づいている

木枯らし紋次郎(新切鰺)
「トイレのドアをきちっと閉めとけ」と言ったら
「トイレするときにドアをきちっと閉めとけ」とアルバイト学生が反論してきた
どうしようもないこの世代間ギャップにため息が出ると以前に書いた
扉は閉めるためにあるだから・・閉める必要のないドアはもともとないのである
よく理屈っぽいと言われる
そら私は理屈で仕事してきた
でも、今は必ずしもそうではない
理屈を遊んでいるのではない遊びの部分が理屈っぽいのである
グローバルやインバウンドはいいことだ
が、そう言ってた結果がこのことだ
鎖国がいいというのが小生の持論であるが
恐らくそんなわけにはいかない
よくよく無防備なのである
観光もオリンピックもIRも
浮かれた部分はバチが当たる
こんなのは信仰である
やってることに祈りがないのだ
都はいつも疫病を恐れている
こわごわ生きてきた
医学も平均寿命も延びてきた
限界が近づいてきた
浮かれた年寄りは自分で身を守れ
扉があるのにいつも開けっぱなしだ
だが、扉があるのは閉めるためである
鯵庵(2.4.2)

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by ajiankyoto
| 2020-04-03 07:50
| 新しい生活
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