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平穏死

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徐々に衰弱し最期を迎える痛みや苦痛を和らげる治療をしてくれる
この頃は平穏死というらしい
病人であろうとなかろうと人が生きていくためには栄養が必要である
それまでも流動食ばっかりであったが、1年ほど前にぐっと弱った
その後、経鼻経管、鼻から胃まで管を通して流動食を流し込む人工栄養に頼らざるを得なくなった
鼻に管をつけたまま、時間がたてば看護師が大きめの注射器をつないで栄養を流し込む
意識はしっかりしていた母であったが、その段階で自分の残りを悟ったのではないかと思う
体に栄養を注入するこの状態は、終末期の意味を本人だけでなく家族にも思い至らせる

半年ぶりに病院を訪れた私に看護師長は衰弱の経過について説明してくれた
過剰な延命措置はしないというのは本人意思である
だが、この言葉は難しい
延命措置について具体的な確認をいつも求められる
リビングウィルという手続きである
「延命治療は望まないが出来る限りのことはして欲しい」というのが従前の希望だった

2年前に病床での再会を果たしたばかりで
しかもまだ母親のイメージを取り戻すことも出来ないままだとも言える私に、
母親の生き死にを決める資格があるのだろうか
病院にそう問えば、それは血の問題だという
人工栄養は胃ろうはしない
昇圧剤の投与もしない
心肺停止時の蘇生術も行わない
自然な心肺停止を容認するために今回、「延命治療は望まない」と記述を変えた
「出来る限りのことはして欲しい」という語句をはずしたのである
その段になって始めて私がサインすることになった
が、何をもって延命治療というのだろうかこれだけでは分からない

その母は反応が既になく医師の問いかけにも応えない境地に入っていた
苦しみはなく表情は穏やかであった
子として出来る最後の孝行だと思うことも出来るが
最後の手続きだともいえる
患者との真のコミュニケーションは医師がすべきである
と名医と言われる人は必ず言う
しかし、実際の手続きは配偶者や肉親でしかできなくなっている

夫や妻、配偶者は一番の親族である
が、婚姻の解消とともに関係がなくなるし、元々肉親とは言わない
肉親とは親子兄弟でも血のつながった人を言う
病院は人の痛みは血で感じるものだという
血の濃さだけがゆるぎないものであろうか
畢竟・・「出来るだけのことをして欲しい」と言うのは未熟なのである
親を持つ多くの人がここを乗り越えなければならないのは当然でもある
母が亡くなったってちょうど1か月になる
(1.9.30)

by ajiankyoto | 2019-09-30 08:27 | 次は自分の番だ | Comments(0)